Shikao & The Family Sugar tour ’05 the final

いや〜んどうしよう。頭の中がシカオちゃんのことでいっぱいです。
キモ。
んなこと抜かしてると、かってマイラジで「あるミュージシャンのことが本当に真剣に好きになってしまったのです。一体どうすれば?」と縋る相談者に「そんなん単なる妄想だから。落ち着けいずれ覚める」とアイスブリザードのように冷たい調子で回答なすったシカ先生にざっくり斬られちゃう〜。
ではなくて。シカオ&ファミリーシュガーの音楽のことで。ちゅーのが正確なところ。
シカ先生はどのように変態な曲でも最終的にはポップな形態になってるのが凄いなと思うのですが。
ポップってともすると「何も残らんつまらんもの」になりがちではないですか。
でもそんな弾けて消えるだけのもんになってないのは、シカ先生の才能と力、そしてファミリーシュガー(レコーディングについては全員でないにしろ)の力との混ざり合いによるもので。
何を今更当たり前だろ。なことなんだけどさ。
やっぱあの面子を集められるってこと自体が凄いのよね。果報者。
っていうのをシカ先生もしみじみと感じてるんだなあってのが伝わった夜であったよ。
最終夜に行けて幸いじゃった。またしても遠征だったけどな。
予想外に遅くなり、帰れないんじゃ…?と思いながら留まって観たアンコールはにゃんとも落ち着かないものにはなってしまったが。
本編が凄くて熱くなり過ぎてとても途中で帰る気になれんかった。
コンサートホールながらライブハウス寄りのメニューだったんじゃ?
「カラッポ」から始まってド頭から飛ばしまくり。
オバチャン最初からこれだと死ぬかも〜。と危惧しつつ、結局はいつものようにシカ先生の思う壷。
リズムにただ身を任せろと。おっしゃいましたね。
ええもうその通りに。っていうか任せ過ぎ。そりゃいつものことだけど。
演奏が凄かったんだもんもん。
いつもだってフツーに凄いよ。それが更に。
曲の輪郭と構成が物凄くくっきりはっきり感じられて。
あーわたしはこれだからこの人の曲が好きなんだな、ってのが。前から知ってはいたけど、すごいはっきりとした。
地を這う重い感じで始まっても、途中で上に、空にぱあっと広がって行く。思いが。そこが好き。
どきどきしたのは皆様の演奏ですわ。
どきどき度no.1は沼澤さんのドラムでしょー。シカスケは「リズムマスター」と呼んでたけど。ほんとに。
わたし詳しいことってよく分からないんですけど。
でもこれってなんか普通は打ち込みでやるよーな気が。ってのが人力なんだもん。そして真芯。ちょえ。
森さんはいつも通り、でもいつも以上にクレイジーだったかな?
いや〜珍しく森さんの良く見える側の席で嬉しかったなあ。
だーい好きです。愛してます。その天才プレイを。本当に最初の頃から。日清パワーステーションで「ドキドキしちゃう」のブッ飛んだプレイに触れた瞬間から。
シカスケの歌はいつにも増して表現が丁寧で、ひどく近く感じられ。お陰で妄想広がりまくり。
本当にみんなクールで熱い演奏だったと。脳と身に刻まれましたよ。
あれがやはり最終日ならではのものだとしたら、延期のお陰で優先予約で手に入れられたことに感謝します。ていうか祝日だし〜えいっ、で申し込んで良かったよ。
シカスケ氏は初心に戻って。とアンコールでデビュー曲を歌われました。
ヒットチャートをかけぬけろ」。
何回でも戻って、そして進んでって欲しい。


ヒットチャートをかけぬけろ
My humble soul
Run through in the charts and reach your tomorrow
I don't care if it might disappear some day
My humble soul
Run through in the charts and reach your heart
黄金の月
Even if there's no light in my future
Even if someone is laughing at me somewhere
Even if your tomorrow might be distorted into ugliness
And we might never get purity again


Even if there's no moon of the gold shinning in the night sky


調査によれば前日のMCでは、ファンクはセックスだ。だから一人じゃできないんだ。分かってる?という発言があったらしく。なかったよ?
TVが入ってたからってエロ口減らしちゃ駄目!!ぎゃはは。
そういう発言がなくても、刺激の質と反応という意味で、そのものだなーとしみじみ感じてたりはしてた訳なんですけどね。
あーあと愛がなくてはいけないところ。(ひー。だんだん「イジメテミタイ」の世界に深々と足が)


それとは別に(別なのか?)、没頭することの功罪について考えたりもしてたのだが。目を開けて現実の事象と向かい合うエネルギーへと繋がるのであれば、没頭にも意味はあると。
ただひたすら気持ち良くて止められないことにも意味が。


ということでスガ先生に刺激されながら今後も思索は続く。(どこが思索なんだよ!)